駆け抜けた彗星

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あれから1年

 

 

今日で、ARASHI BLAST in miyagiから1年が経った。

 

わたしは幸いにも周りの方に恵まれていて、最近はほぼ毎回コンサートに入っている。

 

宮城だけはこんなに大切で日にちまで覚えているのはなんでだろうな、と考えたときに、初めての野外ライブだったからだろうな、と思った。

 

結局わたしは、国立に入れたことは一度もなく。

AAAを見てはHip Pop Boogieを歌う彼の姿を見たかったと思い、アラフェスを見てはどうして入れなかったんだろう、と自問自答し。

 

結局のところ、国立ではなくソロへの執着なのかもしれないけれど。

 

「その時にやりたかった歌がこういう曲だっただけ」と彼は言うけれど、『そのとき』しかないソロ曲を歌う場に立ち会えなかった、という事実は結構胸にくるもので。

 

だからこそ、まさか宮城で自分がその場に居合わせるとは思っていなかった。

Chapter Ⅱという、最高の形で。

 

あえて当時のレポと同じ書き方をしたけれど、わたしの想いはそれに尽きる。

 

けれど一番の理由は、宮城でコンサートを行うことの意味が痛いほど伝わってきたからだと、1年経った今でも思う。

 

何度でも言う。

宮城でコンサートをやりたかった理由は、あの「果てない空」に集約されている、と。

 

当時身近な誰かがいなくなったわけではないけれど、TVから流れる光景に絶句して。

震災後初めての嵐にしやがれで披露された果てない空で涙してしまい、それ以降この曲を避けてきて。

 

その4年後に、また果てない空に泣かされるとは思っていなかった。

 

 

あの日見上げた夜空は本当に本当に綺麗で、月も星も綺麗に見えて。

空へとつながる階段のような一筋の光に希望を見て。

 

今日、久しぶりにBLASTの果てない空を見た。

やっぱり泣いてしまった。

 

宮城初日から1年後のきのう、Mステで果てない空を披露してくれたこととか。

果てない空からのsakuraは、破壊からの創造なのかな、とか。

 歌番組での選曲にどの程度本人が関わるかなんて知らないから、あまり無責任なことは言えないけど。

 

果てない空で手を伸ばし体を折り曲げながら歌う翔くんを見ていて、たぶんきっとそうだろうな、と思った。

 

 

文字通り突き抜けるような青空の下歌った「青空の下、キミのとなり」とか、『空高く行けよ』と歌う「PIKA☆NCHI」とか。

潤くんが指揮で共に音楽を奏でた石巻好文館高校のチアの写真が、高校生との合唱のバックに流れていたりとか。

 

全部全部、今につながってるんだと思う。

 

1つ1つに意味を見いだしてたらキリがないし、妄想をたくましくしてるだけなところもあるかもしれないけど。笑

でも本当に本当に楽しかったし、選曲の意味を今までで一番強く考えたライブだった。

 

きっと来年も再来年もそれ以降も、9月20日になったらまた想いを馳せる。

 

また宮城に行きたいな、と思う。